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東京地方裁判所 昭和36年(ワ)8530号 判決

原告 国

訴訟代理人 舘忠彦 外二名

被告 大森精工機株式会社 外一名

主文

一、原告に対し、被告大森精工機株式会社は金三三、六二八円及び、うち金三一、八七八円に対する昭和三四年六月二〇日から、うち金一、七五〇円に対する同年八月二七日から、各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を、被告時村は金一五、〇〇〇円及びこれに対する同年六月二〇日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

二、原告の被告時村に対するその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は、原告と被告大森精工機株式会社の間においては、原告に生じた費用を二分し、その一を被告大森精工機株式会社の負担とし、その余の費用は各自負担とし、原告と被告時村の間においてはこれを二分し、その一を原告の負担とし、その一を被告時村の負担とする。

四、この判決は勝訴部分にかぎり仮りに執行することができる。

事  実 〈省略〉

理由

一、請求原因事実中同一、二、三(一)の各事実は当事者間に争いがない。

二、成立に争いのない甲第一、第二、第三号証、甲第四号証の一、二、三、甲第五号証の一、二、甲第七号証の一の一、二、三、証人阿部喜蔵の証言及び被告時村本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く)によればつぎの事実が認められる。

(一)  本件事故現場の道路は幅一二、〇五メートルでそのうち中央部分幅六、一〇メートルのみがアスファルト舗装がされその両側は非舗装であり、路面は平坦で本件事故発生当時は晴天で路面は乾燥していた。

(二)  被告時村は用務を終え前記争いのない状態で駐車していた本件自動車を運転して帰途につくべく乗車に先だつて道路の南北を見たところ進行してくる他車両もなかつたのでそのまま乗車し、方向指示器による合図をしながら発進動作に移つた。

ところが発進動作開始後はすぐ前方に停車している他車との接触を避けるためハンドルを右側(道路中央方向)に一つぱいに切り、専らその前の車両との接触しないことのみに注意を払い、道路後方に対する見通しはすぐ後に駐車していた幌付の中型貨物自動車に遮ぎられて十分でないのに右後方(道路の北方)に対する他車両の接近については全く注意をすることなく車首を道路中央方向に向けながら急速度で発進し、前部が舗装道路上に舗装部分の東端から約一メートル余り出たときはじめて北方約一二ないし一三メートルの地点に南進してくる阿部の運転する第二種原動機付自転車に気付き危険を感じて急制動の措置をとつたところ、本件自動車は斜み南方を向き車両右側前部が舗装部分東端から約二メートル余りの地点に来るような状態で停止し、そのため路面上には約〇、八五メートルのスリップ痕跡が生じた。

一方原動機付自転車を運転していた阿部も発進を開始した本件自動車を約一〇メートル余り手前ではじめて発見したが警笛を二回程鳴らしたのみで何ら制動措置をとることなく進行を続け、衝突の危険を感じるやハンドルを右側に切つてこれを避けようとしたが及ばず、このため原動機付自転車の左ハンドルが本件自動車の右前照灯附近に接触し、運転していた阿部は原動機付自転車から転落し接触地点から約五、六五メートルの道路右側(西側)の地点に投げ出され、また原動機付自転車は斜右前方に約一三、四五メートル失走して横転して停止した。

(三)  以上のことが認められ、被告時村本人尋問の結果中、徐々に発進した旨の供述部分は、若しそのとおりであれば、路面は平坦でありかつ乾燥していたのであるから前記認定の如き長さのスリップ痕を残す如き失走をすることはないと考えられるので、これを措信することはできず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

しかして、本件自動車の如く前後に接近して他の車両が停車し、殊に後方の車両には幌が張つてあつて、その後方への見とおしが本件自動車に乗車後は殆んどできずそのため南進してくる車両が見えない状態にある場合に道路の端から中央へ出るべく発進せんとするときは、自動車を運転する者としては乗車直前に車外で接近してくる他車の有無を確認するだけではなく乗車して発進動作開始後も前の車両との接触に注意を払うべきは勿論であるが、同時に後方から進行してくる他車の有無についても注意を払いながら、接近してくる他車を認めたときは直ちに停止しうる程度の超低速度で発進すべき義務があることは明らかである。ところが、被告時村はかかる注意をなしていないこと前記認定のとおりであるから本件事故発生について過失があるものと云わねばならない。

三、阿部の蒙つた財産的損害、労災法に基づく原告の阿部に対する保険給付。

(一)  本件事故当時阿部が富士通信機製造株式会社川崎工場に勤務し電機工事に関する仕事に従事していたことは当事者間に争いがない。

(二)  甲第五号証の一、二、成立に争いのない甲第六号証の一の一、二、甲第六号証の二甲第七号証の一の一、二、三、甲第七号証の二、甲第八号証の一、二、甲第九号証の一、二、及び証人阿部喜蔵の証言によればつぎの事実が認められる。

1  本件事故のため阿部は左胸部打撲及び擦過傷、左上腕打撲傷などの傷害をうけ昭和三四年一月一七日から同年五月一一日までの間富士通信機病院で治療をうけると同時に同年一月二八日から同年二月一八日までの間に同病院でうけることのできなかつた治療を東横病院でうけ、富士通信機病院における治療費が一七、七六〇円、東横病院における治療費が六、一二〇円で合計二三、八八〇円となり阿部は右額の債務を両病院に対してそれぞれ負担した。

2  また阿部は右傷害のため、昭和三四年一月一八日から同年二月二八日までの間に二八日間勤務につくことができず休業したが当時富士通信機製造株式会社川崎工場に雇われ電機工事に関する仕事をしており、給料は日給制であつて通常一月に四五、〇〇〇円ないし五〇、〇〇〇円の給料を収入として得ており、昭和三三年九月二一日から同年一二月二〇日までの九一日間に得た給料合計は一四〇、九七四円でこれは一日平均一、五四九円一九銭となる。そして若し阿部は本件事故による負傷がなければ前記休業期間中勤務でき一日平均右一、五四九円一九銭の割合による賃金収入を得られたはずであつて、その合計は四三、三七六円(円以下切捨)となる。

3  阿部の勤務会社における業務の内容は、工場の電気関係の点検工事、修理などを担当していたものであることから横浜市港北区日吉町にある自己が勤務する右会社の独身寮に電機関係についての定期検査のため赴く途中本件事故にあい負傷したもので、これは勤務会社の業務上の事由によるものであるから、原告が労災法に基づき阿部に対し保険給付をなすべき場合にあたる。

しかして、原告は別表のとおり阿部に対し療養補償費並びに休業補償費の支払をなした。

4  以上の事実が認められ右認定に反する証拠はない。

(三)  そうすると、阿部は本件事故によつて負傷の治療費二三、八八〇円、休業による得べかりし利益の喪失額四三、三七六円合計六七、二五六円の損害を蒙つたこととなる。しかしながら前記認定の如き本件事故発生の状況を考えると阿部にも前方を十分注視し、道路に出てくる本件自動車を認めたとき直ちに急制動の措置をとるべきであるのにこれをとらなかつた点に過失があるのでこれを斟酌すると賠償すべき損害額は右損害のうち三三、六二八円が相当である。

そうすると、同金額を被告会社は自動車損害賠償保障法第三条により、また被告時村は直接の不法行為者として各自阿部に賠償する義務が生じたものというべく、しかして原告は阿部に右金額以上の保険給付したのであるから、阿部の被告ら各自に対して有する右損害賠償請求権を労災法第二〇条第一項に基づき取得する筋合である。

四(一)、次ぎに阿部は原告から保険給付をうける前に被告らに対し損害賠償請求権中一五、〇〇〇円を越える部分を和解(示談)により放棄したとの抗弁について判断する。

成立に争いのない乙第五号証の一、二、被告時村本人尋問の結果によつて成立の認められる乙第一号証、乙第三号証弁論の全趣旨から成立の認められる乙第四号証、乙第六号証の一、官署作成部分については成立に争いがなく、その他の部分は弁論の全趣旨から成立の認められる乙第六号証の二、及び証人阿部喜蔵の証言、被告時村本人尋問の結果によれば、本件事故後、阿部は被告時村に対し事故によつてうけた負傷による治療費、休業による給料相当の損害及びその他の財産的な損害として二〇〇、〇〇〇円の賠償を要求したが、被告時村は自己に過失がないことを主張し賠償義務を認めなかつた。しかし阿部の知人である熊田某、三枝某や被告時村の知人である弁護士の和田正平も仲に入つて数回話合いがなされた結果、昭和三四年二月二二日和田正平方において阿部、被告時村及び右の者達も立会のうえ双方が譲歩し被告時村が阿部に対して負傷によつてうけた同人の財産的損害を多少なりとも填補する意味で一五、〇〇〇円を見舞金名目で支払うことにし、このうち七、〇〇〇円は即時支払い残額八、〇〇〇円は同年三月中に支払うことこれ以外に阿部は本件事故により損害賠償の要求を一切しない、ということに決定し和解(示談)が成立したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。(したがつて原告主張の如く右示談が阿部の慰藉料請求権のみを対象としてなされたものではない。)

しかし、右和解契約を被告時村が自己のためにすると同時に被告会社の代理人として被告会社のためになすものであることを相手方である阿部に表示したことも同人においてその様に判断しうべき事情に存したことも認めるに足りる証拠はないから、仮りに被告会社が被告時村に代理権を授与し、被告時村において被告会社のためにする意思があつたとしても、右和解が被告会社との間にも成立したものとは云えない。

従つて、被告時村との間では、仮りに阿部が右一五、〇〇〇円以上の損害賠償請求権を有していたとしても、同金額を超える部分は右和解契約により消滅したものと云うべきである。

しかし、自動車運転者たる直接の不法行為者の責任と自らは運転しないが、自己のため自動車を運行の用に供する者の自動車損害賠償保障法に基づく責任とはいわゆる不真正連帯債務の関係にあると解すべきであるから、被告時村との間に和解が成立したことによつて被告会社の責任は何ら影響をうけるべきものではない。

(二)、原告は、右和解契約は阿部において和解をなすもこれとは関係なく労災保険金の給付をうけられるものと思つていた点に錯誤があり、これは要素の錯誤であるから無効である、と主張する。しかし証人阿部喜蔵の証言によれば阿部は前記和解の後になりはじめて労災保険給付があることを知り被告時村から受取つた七、〇〇〇円を返したものであることが認められ、しからば右和解の際阿部において和解とは関係なく労災保険給付をうけうるものとの認識はなかつたのであるから、阿部に原告主張の如き錯誤があつたものとは云えない。

したがつて、原告のこの点に関する主張は採ることはできない。

(三)、原告の法律的主張について、

被災労働者は国から労災法に基づき現実に保険給付をうけた後は第三者に対して有する権利は国に移転するからこれを行使処分をすることができず、これをしても国には対抗し得ないが、現実に保険給付をうけるまでは行使処分をすることは何ら妨げられるものではなく、損害賠償請求権を放棄免除、或いは和解によつて消滅させたときでもその処分なり契約は有効で、右の如き処分が労災保険給付のあることを条件としたり、負傷による財産的損害以外の損害のみを対象としてなされたような場合を除いては国は被災労働者の処分により消滅した権利については第三者に求償できないものと解する。そして、かく解しても右の如き事由で国が求償権を行使することができないと考えられる場合にはその行使できない限度で保険金受給者が第三者から損害賠償をうけたものとして労災法第二〇条第二項により国は保険給付の義務を免れるものと解すべきであるから、原告主張の如く国は何ら権利を害されることはない。したがつて当裁判所は原告の主張する法律解釈には左祖しない。

五、そうすると、被告時村が前記和解によつて阿部に支払うことになつた一五、〇〇〇円は阿部が本件事故による負傷によつてうけた財産的損害を填補する趣旨の損害賠償債務であることは前記認定のとおりであり、そのうち被告時村が阿部に支払つた七、〇〇〇円については昭和三四年二月二六日頃、阿部から返還をうけたことは被告時村が自ら述べているところであるので阿部は被告時村に対して右返還後はなお和解契約によつて決められた一五、〇〇〇円の、被告会社に対し前記三の三三、六二八円の名損害賠償請求権を有していたことになり、また、被告時村に対する右請求権は前記認定のとおり阿部が本件事故による負傷によつてうけた財産的損害に対する賠償請求権であるから前記認定のとおり被告らに対する右各請求権額以上に保険金を阿部に支払つた原告は右阿部の被告ら各自に対して有する右損害賠償請求権を全部労災法第二〇条第一項により取得したこととなる。

六、よつて、原告に対し被告会社は三三、六二八円及びうち三一、八七八円に対する不法行為後である昭和三四年六月二〇日からうち一、七五〇円に対する同年八月二七日から各支払ずみに至るまで民法所定年五分の率による遅延損害金を、被告時村は一五、〇〇〇円及びこれに対する不法行為後である昭和三四年六月二〇日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の率による遅延損害金をそれぞれ支払う義務があり、原告の被告会社に対する請求は全部理由があるからこれを認容し、被告時村に対する請求は右支払義務のある限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当として棄却することとして訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条本文、第九三条第一項を、仮執行宣言につき、同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西山要 中川哲男 岸本目己)

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